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「地震に、テロに、汚職に、殺人事件っ。 かーやだやだ。ろくな話題がねえな」
少年はとくに興味もなさそうに、細い指で新聞を閉じた。
20xx年、そこは大阪のとある繁華街。夏休みだからか見渡す限りの人の波は、苦手でなくても酔いそうだ。
オープンカフェの一角、赤いパラソル付きのテーブルからその様を眺め、少年はため息をつく。今日だけでもう何回ため息をついたろうか。
ふてぶてしく足を組み、くたびれた新聞を片手に、少年はアイスコーヒーを飲む。親父くさい動作だが妙にハマっていて、しかもそれがマイナスにならない。
羨む気すら失せるほど、少年は美しかった。
年のころなら16,7で、黒とオレンジのタンクトップの重ね着に、カーゴパンツは体より一回りサイズがおおきい。
さらさらのマロン色の髪と、ほくろ一つない健康的な肌、そして濡れた夜色の瞳が、これ以上ないほど良く似合っている。
人間離れした美貌はただただ繊細で、意志の強そうな瞳がなければ、人形かと疑ってしまいそうな少年だった。
そんな少年をカフェの入り口から見つめる、背の高い青年が一人。
なんでこんなところで、待ち合わせしてしまったんだろうと、その青年――――水瀬 霞(みなせ かすみ)は、なんの罪もないオープンカフェを恨めしそうに見やる。
あの少年は、連れもなく一人で座っているせいで余計に視線を集めてしまっている。少年は我関せずと無感心だが、霞は目立つのは苦手なのだ。
少年の元へ行けば、確実に集まる視線は増えるだろう。 憂鬱だ。
「お、カスミ?なんだよもう来てんじゃねえか。何やってんだ、つったったままで」
不機嫌に早く来いと手を動かす少年――――真部 葉唯(まなべ はゆい)に霞は脱力する。
ご丁寧にもジェスチャーつきで呼んでくれたおかげで、周りからちらほら見られてしまう。
葉唯は霞の相棒である。学校の、バイトの、生活の、そしてとある――――仕事の。
「おもしろいんか、新聞?」
霞は情けないことに、滅多に読まないのでよくわからない。葉唯のむかいに腰を下ろす。
「ん?ああ、カスミってばテレビ欄以外見ないっけか」
「……あと4コマも読むぞ?」
くくと意地悪く笑う葉唯に、なんとなく悔しくて霞は憮然とする。全くフォローになっていないのが霞らしい。
「ふっ、ネットでだいたいの情報手に入るしな!」
「………。………ねっと」
霞の負け惜しみに、葉唯はつたない発音で忌々しげに呟く。
携帯を触れば初日で壊れ、パソコンはワンクリックでフリーズする、彼は冗談のような機械オンチである。それもハイテクになればなるほど破壊力は増す。少なくともまだローテクなガスコンロは3年持っている。
絶対、妙な電波でも出してるのだ。
「ま、暇つぶしにな。疲れてて内容なんて頭に入っとらん。ふむ、内容がないよう?」
霞はツッコまねぇぞと思った。
小学生も考えないシャレをつぶやく少年は、外見とのギャップが激しすぎる。見た目だけなら文句なく美少年なのに、もったいないというかなんというか。
取りあえずそれはスルーして、霞は本題に入ろうとサングラスを指で押し上げた。
「んで?なんか収穫あったか」
「ゼロ」
「…2文字で終わらすなよ」
「カスミぃ、ちゃんとこのオレの疲れまくった顔みろ、悟れ! もう俺、歩きたくねえ。この人ごみ何とかしてほしいっての」
ウンザリだと気だるげに葉唯が言う。疲れているのは体力が乏しいからではなく、ただこの雑踏で精神的に磨耗しているのだろう。むしろ彼は、青年より体力がありまくるはずだ。
机に突っ伏す葉唯は、目線だけ上げて「そっちこそ収穫はどうなんだ」と霞に問いかける。霞はむなしさを押さえて意味もなく胸を張ってみた。
「聞いて驚け、ゼロだ」
「は、そりゃすげぇな」
…二人してため息をつく。見上げた先には雲ひとつなく、空にまで笑われている気がじわじわしてくる。
今年は比較的に冷夏な上、まだ夏休みも序盤であり、日本の夏にしては快適なはずなのだが………霞の色素の薄いグレーの瞳には日差しのアピールは痛い。
青年がサングラスをかけているのには2つ理由がある。ひとつは日差しよけ、もうひとつは顔を隠すためだ。
そう、日差しも痛いが視線も痛い。
さっきから女子高生らしき子らが、ひじで互いのわき腹をついて"ほら、あそこの席のふたり"というようなことを、囁き合ってるのが聞こえる。
「二人でいると余計目立つんだよなあ…」
「あん?」
「……何でもない……」
溜息をついて、霞は自らの真っ白な前髪をいじる。知る人間は少ないのだが、染めているのではなく天然の色なのだ。
夏にふさわしくない日焼けの”ひ”もない肌もあり、彼の外見は雪の彫刻のようである。
1ミリでも位置が狂えばこうはいかない整った顔は、かっこいいよりも綺麗という表現がピッタリだろう。
つまるところ霞は、葉唯に負けず劣らずの美青年だった。
「今日で2日目だってのに………収穫なしか」
霞が正面を見やると、いつになく疲れた表情の葉唯が突っ伏していた。
「あー………。とりあえずホテルに戻るか…?」
「おう…」
葉唯は力なく同意する。夏が苦手な少年にとって、今は地獄だろう。
霞とて”事情があって”暑さや寒さに強いのだが、人ごみに気力をそがれていつも通りとはいかない。もとより、人の多いところは苦手なのだ。
葉唯が残りのコーヒーを一気にあおって、二人そろって席を立つ。背中にズッシリとした重みを感じて、霞はおそるおそる振り返った。
「うおー、極楽」
「はゆ…あんなぁ」
葉唯が首にしがみついていた。
「はーなーれーろー」
「いーやーじゃー。だってカスミの周りは涼しいんだもん」
「……だもん……」
すごい鳥肌がたった。
頭がゆだってるのか不気味な言葉づかいの葉唯は、見た目にそぐわない怪力を発揮して、どうあっても引き離せそうにない。
”事情”があって霞の周囲の気温が低いのは確かなので、仕方なくそのまま歩き出す。葉唯は相当オーバーヒートしているようだ。
まあ男同士で腕を組まれるよりは体裁がいい、ような気もする、うん。霞はそう思いたい。
しばらく店の人々は呆けたように――一部の女の人は頬を染めて―――二人の去る背中を見続けていた。