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「お、きたきた」
霞は手を合わせてポキポキと鳴らす。景気のいい大破壊の音が、倉庫から聞こえてきたのだ。

葉唯の合図である。

「大仕事、おおしごと………っと」
開いた手に白銀のオーロラが生まれる。やがてそれは手を離れ、夜空に同化した黒い倉庫を取り巻いていく。
純白の繭がすべてを覆いつくしたその時、軋むような音をたてて建物が氷りついた。
ただし、正面玄関をのぞいて。

「ほんと今日は、働きすぎだよ俺………」
ダルそうに、霞は肩を揉みほぐす。
「オリンくん、お姉さんに会えたかな………。見てみたかったなあ、人魚姫」
葉唯をうらやんでも仕方ない。適材適所……というか、たまには葉唯をめいっぱい暴れさせないと、ストレスがたまって厄介なことになるのだ。鬼の破壊衝動を押さえるのは、なかなか大変なことらしい。

正面玄関から何人か人間が転げ出てくる。顔がどす黒い恐怖に、引きつっていた。
どうやら葉唯は正体をばらし済みらしい。
てことはちゃんと人魚は逃がした後だな、と霞は彼らに歩み寄った。よし、ここは王道ホラーでいこう。

「どうしたんです…?大丈夫ですか?」
霞は通りがかった人のフリをする。言ってから、こんな時間、町外れにそうそう人は来ないよなあと、ちょっと後悔する。幸い動転している彼らは、その不自然さには気づかなかったようだ。
「あ、お、おに………、鬼が」
「鬼?」
「ば、バカ、ええからはやく逃………!」
「なんでこんなとこに、あんなやつが……、………………」
霞の顔を凝視して、彼らはそろって固まる。霞は不安げに眉をひそめる。
「鬼………ですか?」
霞の問いに答える声はない。霞が頬に手をそえて、首を傾げる。彼らは魂が抜かれたように、その動作にすら魅入っていた。

これこそが種族の特性であり、霞の本性。性別に関係なく他者を魅了する雪人。
彼らはすでに霞の術に縛られていた。

別にふつうに氷で攻撃すればいいのだが、ちょっとぐらいの遊び心は許してほしいと思う。待っている間ヒマでヒマで仕方なかったのだ。
霞の全身が、ほのかに白銀のきらめきを帯びている。
「1+1は?」
「2」
アホな問題にも、彼らは従順に答える。うん、誘惑成功。正気ならこんなバカまるだしの質問には答えない。
警戒していた、誘惑系の術への抵抗はなかった。まあ人魚とは術の系統が違うのだから当然か。
「んで、どうやって人魚を捕まえてたんだ?」
「水槽に………術を」
「どんな?」
「人魚の空間移動に干渉して………ランダムにここの水槽に繋げる術……」
たとえばこの倉庫にある水槽をAとする。どこかの人魚がB地点からC地点に移動する際、B→CをB→Aに変えてしまうような術なのだろう。
直にここの水槽に現れるのなら、誘拐現場が目撃されることもない。
たまたまオリンの姉が拠点のある大阪で失踪し、あのウロコが見つからなかったら………この事件は解決しなかったかもしれない。
「なるほどなあ……で、さらった奴らはどうした?」
「……女は――――」
そうやって語られた真相に、霞は胸やけを起こした。…うえ、よく出来るなそんなこと。
妖怪だから何をしてもいいと考えているのか。……いや、人間は人間すら同じ扱いをすることもある。
霞は人間が嫌いな訳ではない。ないのだが、時々怖くなる。集団になった彼らの凶暴さは、身にしみてわかっているから。

さて、必要なことはほぼ聞けた。
指をパチンと鳴らして術を解き、霞は優美に微笑む。普段の彼からは想像もつかないような、傾国の笑み。
「―――――――」
まともに直視した彼らは、術は解けたはずなのに、目を離せなくなった。それを自覚して、霞は笑ってしまいそうになるのを堪える。
やっぱり長い人生、いたずら心は必要だよな!
霞は一度考え込むフリをして、
「その鬼というのは………」
顔を上げる。
「こういうものですか?」
「――――ひっ………」
氷で作った角(ニセ物)を見て、彼らは一人残らず気絶した。

予想以上の効きめだけど、やっぱりベタだったかなあ。


さて、この男たちだけに構っている訳にもいかない。さっきからまた何人かが、倉庫から逃げ出してきている。
片手間に肩から下を氷漬けにしていってたのだが、そろそろ本腰を入れて対処しないといけないだろう。霞を倒さなければ逃げられないと分かって、ターゲットロックオンとばかりに、怖い人たちが睨んできていることだし。

倉庫を丸ごと氷漬けにして、葉唯に全部任せる―――わけにもいかない。証拠隠滅されるまえに、葉唯は首謀者を捕らえに行くだろう。
それまでは雑魚に構えないだろうから、こうする他ない。
まあそれでも、向かってくる相手には事欠かないだろうから、充分気分爽快だろう。

飛来する銃弾を氷の盾でふせぐ。霞は接近戦は苦手だが10人やそこらの人数相手に、中・長距離で負ける気はしない。
敷地内に限定して、吹雪を呼ぶ。
その吹雪から生成した数本の槍を、正確に銃口に叩き込んでいく。吹雪で体温が奪われまともに動けない男たちは避けることができない。
視界も雪で閉ざされ、霞に近づくことすらできなくなった。
「っと」
誰かが闇雲に投げつけたナイフが頬をかすめる。瞬く間に凍りつくため、霞の肌に血は流れ落ちない。
うわ、偶然ってこわいな。
霞は唇を舐めて気合をいれ、猛吹雪にまで強める。新しく倉庫から出てきた人々も、その零下の世界に、不気味な氷のオブジェと化してぞくぞくと倒れ伏していく。
もしかしたら死人が出るかもしれないが………まあいいか。


 ひとしく絶対零度の抱擁を。
歓迎しよう、人の子ら。









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