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葉唯がふと顔を上げた。野生動物並みの五感を持つ葉唯は、その音を聞き取っていた。
「………ち、思ったより早いな」
「? もしかして……誰か来たんですか?」
オリンが手を止めて振り向くと、葉唯が最後の一人を解放したところだった。
「誘拐犯ご一行様がな」
「ええっ、 ………っと、やった!大丈夫姉さん?」
ブツっと手ごたえがして、姉を縛る最後の縄が切れる。意外と切断するのが難しくて手間どってしまった。
「ありがとうオリン。ああ、自由っていいわねぇ…」
マリィはのん気に、体をいろいろ動かしてほくほく笑っている。1週間ちかく動けなかったから、よほど嬉しいのだろう。
相変わらずのほほんとした姉になごみつつも、それどころじゃない事態にオリンは緊張を隠せない。

葉唯は助けた人魚たちに、お礼を言われまくってウンザリしている。言葉は通じないが、それぐらいなら何となく分かるものだ。
こんな大人数じゃ逃げ切れないんじゃ、と不安になるオリン。群がってくる人魚たちに辟易して、葉唯がこっちに脱出してきた。
「坊主」
「大人気ですね葉唯さん」
「んなこたーどうでもいい。やってほしい事がある」
「えっ?」
こんな状況で自分に出来ることがあるのか。しかし葉唯の提案は、人魚であるオリンにとっては、そう難しいことではなかった。
オリンは首を傾げる。そんなものを探ってどうしようというのだろう。
「なかったらどうするんです?」
「そんときゃ、別の方法でいくさ。いくつかは考えてある」
「わかりました……やってみます!」
情けなくもあっさり捕まってしまったことを、オリンは気にしている。結局足手まといになっただけだった。
ずっと助けられてばかりだったから、今度こそ役に立てることが嬉しい。

オリンは自分が囮にされたことにまるで気づいていなかった。


男たちがなかなか帰ってこないことを不審に思ったのだろう。数人の足音が近づいてくる。
バリケードでも作ろうかと思って、やめる。この部屋には適当に積めるものがない。
慌てた人魚たちが、入ってこないように出口を押さえようとしていた。頑丈な鋼鉄の扉は、立てこもる分には心強い。
「邪魔だ。できるだけ下がっていろ」
群がる人魚たちを一瞥し、むげに追い払う。代わりに葉唯が両開きのドア――その中心を、片足で押さえる。ただそれだけで充分だった。
「…なんだ、開かへんぞ?」
「報告!西区画の窓から侵入した跡が!」
「侵入者!?」
「おい、開けろやゴルァ!」
「誰かぶつけるもん持ってきいっ」
葉唯は、怒号が錯綜するドア向こうを、見透かすように睥睨した。絶え間なくドアに重い音が叩きつけられる。
しかし扉はビクともしない。片足一本で押さえ込み、ケロッとした顔で、葉唯は後ろのオリンに振り向く。
「坊主、どうだ」
「…もうちょっと………待ってください………」

ガンガンガンガン!
いまや殴ったり蹴ったり体当たりしている音が部屋中に響いて、人魚たちを震えあがらせている。
おっとりした者が多い彼らは、荒事には慣れていない。
「誰か知らんが出て来いやあ!」
誘拐犯たちの怒声や罵声を聞き流し、葉唯は腕を組んでドアの蝶番を見やる。葉唯の足が耐えられても、ドアの方が持ちそうにない。

さて、どうするか――――

「……あった!ありました!」
そのとき、地面に耳をつけていたオリンが嬉しそうに叫ぶ。
「葉唯さんっ この下です………!!」
「よっしゃ、でかしたオリン!」
獰猛に笑った葉唯が、ドアから後方へ飛びのく。一拍おいて、蝶番のはじけとんだ入り口からドッと人がなだれ込む!
葉唯はオリンのそばに降り立ち、足を高く振り上げて―――――――

「りゃっ!」

ガギンッッ!!!!
倉庫が揺れ、床から勢いよく水が吹きだす。深く、深く、アスファルトを通り越し、大地に尋常でないひびが入っていた。
葉唯がおもいっきり踏み砕いたなど、目の前にしても信じられない。
「な、な…………っ」
誰もが絶句するなか、天井にも届きそうな水柱を、葉唯が親指でさし示す。オリンはハッと顔を上げる。
「葉唯さん!」
「行け」
「………はいっ 姉さん先に!」
オリンは頷き、姉を促す。葉唯に頼まれたのは、地下に水脈、もしくは水道管があるかどうか確かめることだったのだ。
人魚は水の音にどの種族よりも敏感である。
「葉唯さん、お気をつけて……!」
この破壊力を見るに、ぜんぜん心配などいらなそうだが。
葉唯は背を向けたままヒラヒラと手を振る。「鬱陶しいからさっさと行け」とでも言うように。
その背中に一度お辞儀して、オリンは水に飛び込んだ。

我に帰った人魚たちが、つぎつぎと水を通って、別の場所へと逃げ出していく。一歩遅れて犯人連中が気づくも後の祭り。
水のいきおいに隔てられ、逃亡する獲物たちに触れることもできなかった。
その苛立ちや怒りは、葉唯に殺気となって向かう。すぐにも仕掛けてこないのは、このデモンストレーションで警戒しているからだろう。
分が悪いとわかって逃げだす者もいた。それは懸命な判断といえるが、どっちにしろ無駄なことだ。葉唯は誰一人逃がすつもりはない。
人魚が安全になった今、遠慮するものは何もない。

葉唯は無言のまま一歩踏みだす。気圧されたように包囲する男たちが一歩下がる。
そんな行動を恥じたのか、男がごまかすように声を上げた。
「……お前、何が目的じゃ!」
「それはオレのほうこそ、あんたらに聞きたいが」
「どこのもんや!人間やないな」
見て分かることだろうにと、葉唯は鼻で笑う。
「人魚を攫って何のつもりだ?」
「小僧、聞いとんのはこっち――」
「巨大な水槽は何の装置だ?…人魚の女に何をした?人魚の男をどうした?」
憤る声をかんぺきに無視して、葉唯は質問を畳みかける。
男たちは埒があかないと武器を構える。人魚を相手にしていたのだ、このなかに魔導師や術士がいる可能性もある。
暴れがいのあることだ。
葉唯は好戦的に笑む。
「まあいい、オレに言う必要はない」
葉唯の瞳の色が変わっていく。夜明けのように、漆黒から黄金へ。
いつもは隠している本性のひとみ。
そして彼の正体を示すように、いびつな短いツノが2本、葉唯の頭に生える。
面白いぐらい男たちが青ざめる。裏のものなら誰もが話に聞く、都市伝説のようなある妖怪。
金の瞳のオニの。

まさか、と思う。あの”極東の魔王”につぐ知名度の――――
「こ…」
「金剛鬼……っ!?」

「あとで、獄の中で、のんびり話せ?」
葉唯の姿が掻き消えた。

瞬時に4、5人が地べたに沈む。とまらない水流でほぼ泥沼と化した大地に、葉唯の足跡だけが刻まれていく。
彼らは何が起きているかわからない。分からないうちに、次々と仲間が減っていく。
あんまりにも非常識でパニックすら起こせない。一方的な戦いに呆然とするだけで、誰もその場から動けない。
姿の見えない敵にどうやって攻撃できる? 幽霊相手と代わらないではないか。

「…………………悪夢かこれは」


そして――――………







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