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葉唯は走っていた。それも人間の範囲から逸脱した速さである。
バタフライナイフを振りかぶる男を死なない程度に殴りとばし、すれ違いざまにショットガンを構える男を昏倒させる。さすがにそんなもので打たれれば傷を負う。人間のように腕などが吹き飛んだりはしないが。
主犯を探すため、廊下を行く葉唯はスピードを落としている。開けた場所でないと全速力は出せない。

葉唯は水槽を目指している。倒した敵その一から聞き出した情報だと、もし証拠隠滅をはかる場合に一番残っていて不味いものはそれだ。
たとえそこに主犯がいなくとも処分されるのは防がないと……後々、事実追求に支障が出るかもしれない。

「ここか?」
立ちふさがる人間の足を払って、倒れこんでくる首筋に手刀を入れる。
葉唯がたどり着いたその区画には、プールのような水槽が陣取っていた。水槽に付属する操作盤をいじっていた男が、苦々しげに振り返る。
ノンフレームの眼鏡をかけた、大学生風のどこにでもいるような青年だ。
「!……く、もう来たんですか」
「お前がここを仕切っている奴か?」
言いながら近づく葉唯の足元に、複雑な模様の円陣が浮かび上がる。炎系の陣………魔導師か。
「…動かないで下さい」
「聞くと思うか?」
葉唯の関心は円陣にも男にもない。水槽の術を解除されていては、厄介だとただ思っただけだ。
術など当たらなければ脅威にもならない。加速し男の後ろに回り込んだ葉唯は、手を叩き込――もうとして止める。舌打ち。

「動けば水槽の基盤を壊す!」

先ほどの円陣が、操作盤の上に移動していた。あれがおそらく術をコントロールしているのだろう。
どうもこの男は、回りこむ葉唯が見えていたようだ。視覚の強化を施しているのか。
男は取り乱しかけるのを、必死に理性で押さえ込んでいるように見える。この男にとって水槽が無事である必要はなく、今になっては邪魔以外の何物でもない。不審な動きをすれば、すぐにでも爆破するだろう。
まあ葉唯としても、この件はすでに証言者が盛りだくさんで、これがなくとも不利にはならないが……。

それでも生まれた一瞬の躊躇が、男に攻撃を許してしまう。線香花火のようなか弱い火花が、葉唯を包む。
――――しまった。
「っ!」
轟音が響き炎が暴れて、足元が爆心地のようにえぐれた。葉唯はよろけて、片膝をつく。
自分の血は久々に見たと、変なところで感嘆する。
それを見て逆に男は緊張を強めた。本来の威力より、受けたダメージが大きい。これで葉唯が本物だという可能性が高まったのだ。
「キミがあの金剛鬼なら……火に弱いはずです」
「…………」
木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に克つという、五行の哲理。
金に属する鬼である葉唯は、熱に極端に弱い。夏に弱いのも、種族的な体質によるものなのだ。
かといって葉唯に危機感が募ったわけでもない。傷を負っても顔は平然としている。これからどうしようか、いくつか選択肢は浮かんだが……
とりあえず、時間をかせいでみるか。
「諦めろ。すでに律盟が動いた。ここで逃げても結果は変わらんぞ」
「……そう思います?これでも引く手あまたでしてね」
男は葉唯から目を離さず、うしろ手で操作盤から、スティック状のメモリーを取り出す。術のデータが入っているものだ。
たしかにこの水槽にかけられていたのは初めて聞く術だった。あれをどこかに持ち込めば、それなりの待遇を受けるだろう。
「………ふむ、」
葉唯は眉をひそめる。さっき食らったものとは違う陣が足元に刻印される。
2本の炎がジワリ、ジワリ、と円陣から立ち昇り、ヘビのように葉唯に絡みつく。とぐろを巻いて、ゆっくりと肌を焦がし締めあげる。
なかなか、陰険だ。
「………なぜ平然としているんですか…」
「取り乱しても意味はない」
身動きを封じてもまだ安心できないのか、男は額に汗を浮かべている。暑さのせいではないだろう。
むしろ男の方が取り乱してしまいそうに見えた。戦闘経験が少ないのか、猜疑心の強い性格ゆえか。
「連行した人魚はどうした?売ったか」
「………」
狭まる炎蛇がじりじりと上にあがり、首まで到達する。さすがに葉唯は顔をしかめる。まあ、傷口を焼いてくれたおかげで血は止まったが。
「……何を、警戒、している。オレは、動けないぞ?」
男が慎重に出口に近づいていく。いくら炎が弱点とはいえ、金剛鬼を1撃で倒せるとは思っていないのだろう。あの水槽を爆破するかして、その隙に遁走するつもりか。
もし葉唯が動けば、男はきっと、データを盾にする。
「………人魚を捕獲し、密売し続ければ、いつか気づかれるのは分かりきったこと。ですから、本当はある程度の数を捕まえればそこで止めるつもりでした」
「その前に、こうなった、わけか。間抜けだな、………っつ」
締め付けが強くなる。皮膚を硬化させて、多少は軽減させているが……そう長くは持たない。
「拉致という危険を犯さずとも、人魚を手に入れられれば………と、だから考えたのです」
「………?」
どういう意味か。
そこで初めて男が笑む。眼鏡の奥、目の焦点が、彼方へ。あらゆる負の感情を煮つめた、人間にしか出来ない表情。
「―――――――創り出せばいい」
男が笑む。
「まず卵子と精子を採取し、体外での人工授精を試みた。しかし人魚の特性かどうやっても子供は作れない。それから試行錯誤を重ね、ひとつの結果に達した。受精後の卵子を胎内から取り出す。それならば人工子宮でも、育むことが可能だった………」
男が笑む。
「あとは受精と摘出を繰り返すだけ。母体の損傷など、魔術でいくらでも治せる。これで人魚を量産できれば、低リスク低コストで高リターンが約束される。子供の発育を待つなど、迂遠な計画かもしれないが……それでも試す価値がある」
狂信者のように、笑む。男の声に熱が混じる。もう誰も、いまの青年を平凡だなどと思わないだろう。
葉唯は嫌悪で目を細める。どうしてもダメなのだ。こんな人間を前にするのは。
連れて行かれた人魚がどうなったのか、オリンには教えない方がいいかもしれない。
「母体は常に必要だ。だが男はそうでもない。必要なモノ以外は売ったよ。研究にはなにかと金がかかるんでね」
「必要、な」
「そう。交配に必要な分だけね……」
男の笑みは、消えない。その顔に過去の何かが重なる。いや、それを今考えてどうする……葉唯は記憶のゴミ箱に感傷をぶち込んだ。
それにしてもオリンの姉が、斜め上の道を爆走していてよかった。
「まだまだ、まだまだ、まだまだまだ研究し足りない。人工授精を成功させるまでは捕まらない」
一歩、男は退がる。語りきって少し落ち着いたのか、先ほどの狂乱は男から抜け落ちていた。男は慎重な目つきに戻る。
炎が葉唯の首を力のかぎり締め付けた。
「あ、ぐっ」
「残念ですよ、あなたは実に研究のしがいがありそうですのに…」
本気で残念そうな瞳で、男は葉唯を観察する。 ていうかまだかあのバカ!
「では、さよならです」

「――――あんたがな………!」

広がる、目も眩むような、純白の。

満ちた銀世界に男の思考が凍りつく、その一瞬で十分だった。
炎の鎖は吹雪にはじけ飛び、駆ける葉唯が、一歩、二歩、そこでやっと男の目が見開かれる、 が、遅い。
もう目の前!
「がっっ!!?」
葉唯の強化爪が一閃、男の腕が肩先から消える。そして葉唯はそれはもう凶悪に笑い―――――――!

最高にエゲツない一撃が、男を襲った。




「うわ………おっ前ありえねえ」
白い肌をさらに蒼白にした霞が、区画の入り口にもたれていた。葉唯は床に落ちた腕を拾い上げる。
「当然の処置だろ」
言って、「くく」と笑いながら霞を振り返る。
葉唯はまごの手を扱うように、拾った腕で肩を叩いた。切断されてなお、データスティックを握りこんで離さない男の腕。
霞は男のそばに近寄り見下ろす。
「男として同情……はしないけど、想像はしちまうな」
いわゆる金的を食らった青年は、泡を吹いて倒れていた。
人体が破裂しない程度は手加減しただろうが、大地すら割る葉唯の剛力がそこを襲撃したのだ。男の部分の再起は、絶望的に違いない。
「カスミぃ、その同情はオレに回せ、オレに」
「う、遅れてすまんかった」
夜のしじまに、炎の爆発音は良く響いたことだろう。火が弱点だと知っている霞なら、ここに駆けつけてくると踏んでいたのだ。
葉唯は固まった腕から、無理やりデータをもぎ取った。
「今回はいつになく疲れた」と葉唯が溜息をつけば、「オレも」と霞も力なく同意する。
……でもやることはまだ残っているのだ。

葉唯は伸びをしながら歩き出し、その後を霞がゆったりと追う。
「出入り口は?」
「塞いできた」
「残党は?」
「道々、氷らせてきた。……けどまだちょっと残ってるかも」
「じゃ、狩るか」
「おうよ」
買い物に行くような気軽さで、二人は部屋を出て行く。霞は葉唯の怪我には触れない。心配されるのが苦手な性格を誰よりもよく知っていたから。
それ以前にもうほとんどの傷は塞がっているのだ。鬼の回復力、侮りがたし。

「律盟が乗り込む前に、終わりそうでよかったなあ」
「事後処理はやつらに任せるか」
「そだな、そんぐらいしかあいつら役に立たねえもんな」
のん気に会話しながら、彼らは最後の戦闘を開始した――――。









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