8
はるか頭上に、蜘蛛の巣のような鉄骨が見える。知らない天井だ………。
気がつけばボンヤリと、仰向けに寝転がっていた。
オリンはぐらぐらする頭を押さえて、一度きつく瞼を閉じ、眩暈がおさまってきたところで、そっと開けてみる。
ここは……どこだろう。
天井に見覚えはないが、この部屋は見たことがある。大きな倉庫のような……――――倉庫?
「って……!」
勢いよく起き上がろうとしたが、手足が縛られていて、反対向きに転がるだけだった。
「あ………やっぱりここ………」
唖然と部屋を見渡せば、想像以上に驚かされる。映像よりも広く見える倉庫だとか、捕まっている人魚たちの数だとか。20人近くいるんじゃないか。
自分と同じ境遇の彼らは、見事に国籍チャンポン状態だった。髪色はみな似たような青銀であるのに、アジア系、ヨーロッパ系、アラビア系……顔つきが違うだけで、これほどまでバリエーションに富むものか。それでも全員、美形には変わりない。
話しかけてくれる人もいるが、何と言っているか分からない。何語なのかも分からない。
あの占い師は、日本では2件だけだと言っていた。
姉は、ここに? いるなら応えて!
「姉さん………マリィ姉さんっ!」
「なあに?」
………………………………。
「姉さん」
「どうしたの?」
「……なんで男装してるの」
芋虫のように地面を這ってきた姉は、なぜかやけに嵌った男装をしていた。はっきり言って美青年。
姉―――マリィは、記憶にあるまま可愛らしく小首をかしげた。……でも見た目は美青年。
「そういえば言ってなかったわねぇ。これ仕事着なのよ」
す、スーツが?
「な、なんの………?」
「あっ、ちゃんと仕事の時は、男言葉なのよ?ホントよ?」
会話のキャッチボールしてください姉さん。
感動の再会とはほど遠い会話に、涙ぐむオリン。人間に興味を持っていたのは知っていたけど、想像と違うベクトルに向いていたようです。
「うう、髪こんなに短くしちゃって……」
「あらあら、似合ってないかしら」
「そ、そんなことない!」
慌ててオリンは首を横に振る。むしろ似合いすぎてて怖いだなんて言えない。ああ、あの、綺麗で可憐で優美な姉さんが………。
「うふふ、ありがとオリン。お姉ちゃんコレでも人気No,1なのよ」
「………………………」
気が抜けたオリンに、マリィはくすくす微笑む。
「……落ち着いたかしら?」
「あ…」
そう言われて、混乱が収まっているのに気づく。もしかしてマリィは、ワザとおどけて見せていたのだろうか。
聖母のような笑みで、弟を愛しそうに見つめる目はどこまでも穏やかで。
優しいままで何一つ変わっていない、世界一美人で、大好きな姉。
「ねえ姉さん、何があったの? 探したんだよ……」
たくさん、たくさん、探したのだ。
ごめんなさいね、とマリィのおっとりした笑みが翳る。ためらいながら姉は「あのね」と続けた。
「ちょっとお客さんといろいろあって……いつも以上に疲れてしまって。どうしてもオリンちゃんに会いたくなって、お風呂場から移動して………そこからは憶えてないの。記憶はそこで途切れて、あとはオリンちゃんとおんなじ状況だったわ」
「姉さん…」
何の仕事かは気にしない。
「………ね、オリン。気づかない?」
「え?」
マリィは人魚の群れを見渡す。つられて首をめぐらしたオリンは、違和感を感じた。
そうだおかしい、姉を除いてここには、
「……女の人がいない」
ここに集められた人魚は、姉を除いて男ばかりなのだ。
「女の人はすぐに連れて行かれてしまうから…」
「どこに……?」
「わからないの。私と同じ日本生まれの女の子がいたのだけれど、あの子も連れて行かれちゃったわ…」
マリィは首を横に振る。
分かるのは、姉が男装していてくれたおかげで、こうして再会出来たという事だけ。そう思うと、マリィのこの姿も素晴らしいものに思える。
ビバ男装。
「男の人は本当に少しずつ部屋から連れ出されるの。オリンに会えてよかった。もうここにいるのは、私よりも後から来た人ばかりよ」
少しでも遅れていたら、この倉庫にもいなかったかもしれないのか。オリンは顔から血の気を引かせる。
いや、このままだと結果は変わらない。何とかして脱出しなければと、オリンの気は焦るばかりで――
「あら………?」
意外そうな声に、オリンは姉の視線をたどる。しかしその時、重そうな音を立てて倉庫の扉が開いた。
「出ろ」
入ってきた数人の男たちが、ただ一言マリィに告げる。断わった瞬間暴力を振るってきそうな、物騒な気配を感じた。
誘惑系の術は効かないだろう。人魚相手とわかっていて、何の対策も施さないはずがない。
常にホワホワとした空気を絶やさない姉もさすがにこわばった顔をしている。
男が腕を掴んで立たせようとしたのをオリンは睨みつける。
「触るな……!」
いきおいよくマリィを押し倒す。男の手は空を切った。本当は男に体当たりしたかったが、立ち上がれないので仕方がない。思いっきり下敷きにした姉に心のなかで謝る。
周囲の人魚たちは怯えたように様子を伺っていた。
オリンのさっきまで焦っていた心は、凪いだ水面のように静まっている。
男の苛立たしげな舌打ち。
「めんどいな…」
「あん?なんだお前起きたんかい」
男の一人がオリンに近づき、威圧的に見下ろす。オリンは目を逸らさず、男を睨む。
「お前にゃ喋ってもらわなあかんことがな、たくさんあるんや。何でここにまっすぐ駆け寄って来たんか、とかな」
「ふん……そんなら、こいつも連れて行くんやな?」
じっとりとした目線を感じても、オリンは怯まない。
その様子に腹が立ったのかその男が足を振り上げる。一瞬で意識を刈りとられてアスファルトの床に叩きつけられ……―――たのは、しかし男の方。
「な――!」
いつの間にか、舌打ちをした男以外がアスファルトの床に転がっている。動転した男は姿勢を低くして近づく影に気づけない。
状況を理解する前に、鋭い音が空気を切り裂いた。
「よう、無事か坊主」
「葉唯さん………」
伸び上がるような蹴りをきめた葉唯に、オリンは安堵の息をついた。男たちは一人残らず起きてくる気配はない。
姉の視線を追ったさきに葉唯がいた時はビックリした。天井から見下ろす彼がいたから、あの状況でも落ち着いていられたのだった。
「すごいですね……見えませんでした」
見えたのは、葉唯が上から降ってきたところまでだった。なぜか葉唯がいつものようにニヤリと笑う。
「愉快な兄弟だな」
「へ? あっ………!」
押し倒していたのを忘れていた。
「って、兄弟じゃないです!姉ですよ姉!」
慌てて降りようとするが、手足が自由にならずウゴウゴするだけで終わった。葉唯はオリンの首根っこを掴んで立たせてやる。
ついでに縄を素手で引きちぎった。
「………ホントにすごいですね」
「まあな」
言って、葉唯は小刀を渡す。
「オレは他の人魚の縄をはずしてくる。姉貴のはお前がやれ」
「あっ、はい」
オリンは葉唯の説明をしようと、姉に向き直ってフリーズした。
「ぜんぜん喋らないと思ったら……」
マリィは目を回して気絶していた。